髙嶋政宏は3人兄弟だった!父親と母親は大物俳優でいとこは高嶋ちさ子

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髙嶋政宏さんには兄弟がいるの?」と気になったことはありませんか?

実は、彼は3人兄弟の一人で、家族全員が芸能界と深い縁を持っています。

俳優として数々の映画やドラマに出演し、個性的なキャラクターでも知られる髙嶋政宏さん。

しかし、その華やかなキャリアの裏には、まさに“芸能一家”と呼ぶにふさわしい家族の存在がありました。

父親と母親はともに大物俳優で、いとこにはバイオリニストの高嶋ちさ子さんがいるという驚きの事実も。

芸能界で活躍する彼のルーツをたどれば、幼い頃から文化と芸術に囲まれた環境があったことがわかります。

本記事では、髙嶋政宏さんの兄弟構成や両親の偉大な足跡、さらにいとこ・高嶋ちさ子さんとの関係について詳しく解説していきます。

目次

髙嶋政宏は3人兄弟で兄がいた

髙嶋政宏さんは、髙嶋家の次男として誕生しました。

弟の髙嶋政伸さんと2人兄弟と言われることが多いものの、二人には兄がいました。

高島忠夫さんと寿美花代さん夫妻は1963年に結婚し翌年の1964年に長男・道夫さんが誕生しています。

しかし道夫さんはわずか5ヶ月で亡くなってしまいました。

髙嶋政宏の兄は事件で亡くなっていた

高島忠夫さんと寿美花代さん夫妻の長男・道夫さんが亡くなった理由は、事件に巻き込まれたからです。

高島忠夫さんと寿美花代さんは長男の世話を家政婦さんに任せていたそうで、生後5か月の時にその家政婦が長男をお風呂場で殺害、未成年だった家政婦は成人同様に殺人罪で起訴され、1965年6月に東京地方裁判所にて懲役3年から5年の不定期刑を言い渡されました。

当時この事件は新聞などでも大きく取り上げられ、寿美花代さんはこの事件以降お風呂に入ることが出来なくなったと明かしています。

髙嶋政宏さんはこの事件の後に誕生しているため詳細について知らずに生活しており、高島忠夫さんと寿美花代さんも息子さんたちに語ることはしませんでした。

そのため周囲から「大変でしたね」と言われても、全く分からなかったそうです。

しかし高校生の頃に両親から初めて事件のことを聞き、それまで両親が過保護になる理由が分からなかった髙嶋政宏さんは「そりゃそうだよな…」と両親の心情を理解できるようになりました。

髙嶋政宏の弟は髙嶋政伸

髙嶋政宏さんの弟は、俳優の髙嶋政伸さんです。

髙嶋政伸さんは、1988年のNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』で俳優デビューしました。

その後も1990年に放送されたドラマ『HOTEL』は2002年まで放送されるほどの人気シリーズとなった他、2002年放送の『こちら本池上署』もパート5まで続くシリーズになりました。

映画では『釣りバカ日誌18』、『マリと子犬の物語』、『L change the WorLd』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』、『探偵はBARにいる』、などに出演しています。

髙嶋政宏と弟・政伸は不仲だった?

髙嶋政宏さんと髙嶋政伸さんは、不仲だったといわれています。

きっかけは2019年頃に「兄弟が共演NG」になっているという噂が浮上したことで、髙嶋政宏さん自身も兄弟の不仲を認め、「(政伸の)泥沼離婚後、気を使うのが正直なところ。行き来がないわけではないけど、確執はありますよ」と告白していました。

ただ大きな何かがあったわけではなく昔から積もり重なって現状になってしまったとのことで、お父さんが亡くなった後は協力して色々やっていると明かし、さらに髙嶋政宏さんが『ファミリーヒストリー』に出演した際はVTRで髙嶋政伸さんも出演していたことから今の関係は悪くないようです。

髙嶋政宏の実家

髙嶋政宏さんの実家は、東京都世田谷区にあります。

730平米の敷地内に2つの戸建てがあり、片方が髙嶋政宏さん夫婦、片方に髙嶋政宏さんの両親が住んでいました。

お父さんが亡くなる直前に土地の約200分の1の権利が髙嶋政宏さんに生前贈与されています。

お母さんも高齢になり施設に入ったため、今は髙嶋政宏さん夫妻のみが住んでいるようです。

髙嶋政宏の父親は高島忠夫

髙嶋政宏さんのお父さんは、俳優の高島忠夫さんです。

高島忠夫さんは、1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入りし、1952年の映画『恋の応援団長』でデビュー、『チョイト姐さん思い出柳』で初主演を果たしました。

『土曜ショー』の司会者をしたことをきっかけにテレビの仕事が増え始め、1970年代からは本格的にテレビに進出して司会業を行っていました。

2019年6月26日に老衰のため、88歳で亡くなっています。

髙嶋政宏の母親は寿美花代

髙嶋政宏さんのお母さんは、女優の寿美花代さんです。

寿美花代さんは、1948年に宝塚歌劇団に35期生として入団、1953年には『アンニー・ローリー』で宝塚新人演技賞を、1958年に『三つのワルツ』で芸術祭奨励賞(大衆芸能の部)、 1960年の『華麗なる千拍子』では芸術祭賞、テアトロン賞を受賞しました。

1963年に高島忠夫さんとの結婚により花・星組合同公演『タカラジェンヌに栄光あれ』を最後に退団、女優に転身しました。

2014年には宝塚歌劇団100周年記念で創設された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入りを果たしています。

髙嶋政宏のいとこは高嶋ちさ子

髙嶋政宏さんのいとこは、クラシック音楽界で活躍するヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんです。

彼女は卓越した演奏技術に加え、歯に衣着せぬ発言や強気なキャラクターでも注目を集め、音楽界のみならずテレビ番組などでも幅広く活躍しています。

高嶋ちさ子さんは、幼少期からヴァイオリンに親しみ、桐朋学園大学を卒業後、アメリカのイェール大学大学院でさらに研鑽を積みました。

1995年にはストリングスデュオ「CHOCOLATE FASHION」を結成し、翌年にアルバム『チョコレート・ファッション1』でCDデビュー。

その後、ソロ活動を本格化させ、国内外で精力的に演奏活動を展開してきました。

2006年には、自らプロデュースするユニット『高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト』を発足。

「観ても、聴いても、美しく、楽しい」をコンセプトに、クラシック音楽の枠を超えた魅力的なパフォーマンスを提供し、多くのファンを魅了しています。

全国各地でコンサートを開催し、テレビやラジオを通じて音楽の魅力を発信するなど、多方面で精力的に活動中です。

俳優として第一線で活躍する髙嶋政宏さんと、音楽の道を極めた高嶋ちさ子さん。

分野は違えど、それぞれが確固たる個性と実力を持ち、一流のプロフェッショナルとして輝いています。

どちらも強い意志と独自のスタイルを確立している点は、まさに「髙嶋家」の血筋を感じさせるものです。

芸能界と音楽界で異なる道を歩みながらも、圧倒的な存在感を放つ二人の活躍から、髙嶋一族の奥深い魅力が伝わってきます。

髙嶋政宏の叔父(父親の兄)は高嶋弘之

髙嶋政宏さんの叔父は、音楽ディレクター・プロデューサーの高嶋弘之さんです。

高嶋弘之さんは高島忠夫さんの兄で、高嶋ちさ子さんのお父さんになります。

1959年に東京芝浦電気(株)レコード事業部(のちの東芝音楽工業→東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)に入社、1964年にはビートルズの初代ディレクターとなり訪日時にも担当したため「ビートルズの日本での仕掛人」と言われています。

1969年に退職するとキャニオン・レコード取締役制作部長に就任、1976年の退職後はポリグラム・グループ(現:ユニバーサルミュージック)のチャペル・インターソング(音楽出版社)社長に就任、髙嶋音楽事務所を設立しました。

まとめ

両親も親戚も芸能一家という環境で育った髙嶋政宏さんは、芸能界に入り、俳優として活動しています。

空の上で見守ってくれているお父さんに安心してもらえるよう、これからも髙嶋政宏さんらしく頑張ってほしいですね。

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