長嶋一茂の母親は亜希子!4人兄弟の長男で父親茂雄の遺産は相続放棄!

長嶋一茂の母親は亜希子!4人兄弟の長男で父親茂雄の遺産は相続放棄!

元プロ野球選手であり、現在はタレントやコメンテーターとして活躍する長嶋一茂さん。

明るくユーモラスなキャラクターで人気を博していますが、その家族関係についても注目を集めています。

彼の母親は長嶋亜希子さんで、2007年に亡くなっています。

そして父親は「ミスター」こと長嶋茂雄さん。

日本プロ野球界のレジェンドとして名を馳せた存在です。

一茂さんは、そんな偉大な父を持つ4人兄弟の長男として生まれました。

しかし、一茂さんと家族との関係については、たびたび話題になっています。

特に父・長嶋茂雄さんの遺産相続を放棄したことでも注目を浴びました。

一体、長嶋一茂さんはどんな家庭で育ち、兄弟とはどのような関係なのでしょうか?

そして、なぜ父・茂雄さんの遺産相続を放棄したのでしょうか?

今回は長嶋一茂さんの家族の知られざるエピソードについて深掘りしていきます!

目次

長嶋一茂の母親は亜希子

長嶋一茂さんの母親・長嶋亜希子さんは、2007年9月18日に心不全のため亡くなりました。

まだ64歳での死去は早すぎると思いますし、とても残念ですよね。

亜希子さんはアメリカに留学経験があり、1964年の東京オリンピックでは得意の英語を活かしてコンパニオンとして活躍しています。

その時に夫となる長嶋茂雄さんと出会い、1965年に結婚しました。

2男2女の子宝に恵まれた亜希子さんは家庭を守りつつ、株式会社オフィスエヌの代表を務め、実業家としての一面も。

長嶋一茂さんや妻の仁子さんとも仲が良く、生前は一緒にハワイ旅行するなど楽しんでいたそうです。

母親の遺言で噴水を建設

長嶋一茂さんはレギュラー番組『ザワつく!金曜日』に出演した際、母親の遺言について語っていました。

母の亜希子さんは太平洋戦争中に特攻で戦死した兵士たちに特別な思いを抱いていたそうです。

『特攻で亡くなった人たちはいつも喉が渇いてる。いつか水辺を作ってあげて。』と長嶋一茂さんに思いを託しました。

亜希子さんの死から3年ほど経った頃、長嶋一茂さんはふとその遺言を思い出し、行動に移そうと思い立ったのです。

鹿児島の知覧に特攻隊の博物館があるのですが、長嶋一茂さんは関係施設に協力を依頼し、噴水の建設が始まりました。

完成したのは2022年だったそうで、長い年月がかかってしまったものの、亜希子さんの思いを形にできたことは長嶋一茂さんにとって嬉しいことだったはずです。

長嶋一茂は4人兄弟の長男

長嶋一茂さんは4人兄弟の長男です。

兄弟の中で唯一、父親の背中を追って野球への道に進んだ長嶋一茂さん。

立教大学に進んだ長嶋一茂さんは、大学野球でベストナインを受賞するなど活躍しました。

大学卒業後はヤクルトスワローズにドラフト1位で入団しています。

1993年に父親・長嶋茂雄さんが監督を務めていた読売巨人に移籍しますが、1996年のシーズンオフに長嶋茂雄さんから戦力外通告を受けました。

後年、長嶋一茂さんは『父親にそんなこと言わせてしまった自分はダメな男だと思った』と当時の気持ちを語っています。

偉大な父親を見ながら野球で大成しようと努力していた長嶋一茂さんは素晴らしいですし、長嶋家の長男として立派だったのではないでしょうか。

長嶋一茂の長女の妹は非公表

長嶋一茂さんの一番目の妹(長女)の名前は有紀さんといいますが、一般人のため情報がほとんどありません。

一般人であり、芸能活動をしているわけでもないため、詳しいプロフィールなどが明かされることはほぼありません。

そのため、どんな人物なのか気になっている方も多いでしょう。

一部の情報では、有紀さんはとても美しい女性だと言われています。

しかし、公の場に出ることはほとんどなく、目立つことを避けている可能性が高いです。

長嶋家といえば、父・長嶋茂雄さんをはじめ、一茂さんもメディアに頻繁に登場する存在ですが、そんな華やかな家族の中で、有紀さんだけはプライバシーを徹底的に守っているようです。

芸能人や有名人の家族の中には、自らもメディアに登場し活躍する人もいますが、彼女はそうした道を選ばず、あくまで一般人として生活していると考えられます。

また、有紀さんはすでに結婚しており、家庭を築いている可能性も高いでしょう。

年齢的にも子供がいてもおかしくない頃ですし、長嶋家の血筋を受け継いだ新たな世代が生まれているのかもしれません。

ただし、こうした情報は公にはされておらず、本人があえて公表を避けていることがうかがえます。

家族の中で唯一、一般の生活を送っているからこそ、プライバシーを尊重されているのでしょう。

さらに、一部の噂では、有紀さんが「株式会社オフィスエヌ」という会社の役員を務めていたという話もあります。

オフィスエヌは長嶋一茂さんが所属していた芸能事務所であり、彼の芸能活動をサポートしていた会社です。

そのため、もしこの噂が本当であれば、有紀さんは表には出ないながらも、兄である一茂さんを陰ながら支える立場にあったのかもしれません。

しかし、現時点でこの情報の真偽は不明であり、確証を得られる資料などもないため、あくまで憶測の域を出ない話となっています。

長嶋家は日本でも有名な一家であり、多くのメディアで取り上げられることが多いですが、そんな中で有紀さんだけがメディアの前に姿を現さないというのは、家族の中でも特にプライバシーを大切にしているからなのでしょう。

彼女が今後、公の場に姿を現すことはあるのか、それとも今のまま一般人として静かに暮らし続けるのか、気になるところです。

いずれにしても、長嶋一茂さんの妹として、特別な存在であることは間違いありません。

長嶋一茂の次女の妹は長島三奈

長嶋一茂さんの二番目の妹(次女)は、スポーツキャスターの長島三奈さんです。

長島三奈さんは1968年6月3日生まれで、2025年1月現在57歳となりました。

日本大学卒業後、テレビ朝日に入社してスポーツキャスターとして活躍。

『ニュースステーション』や『熱闘甲子園』などを担当し、2001年にテレビ朝日を一時退社するも復帰しています。

2014年以降は正式にフリーとなり、現在は『株式会社オフィスエヌ』の代表として活動中。

長嶋一茂さんと長島三奈さんは長年不仲が噂されており、決定打となったのは長嶋茂雄さんゆかりの品を長嶋一茂さんの一存で売却してしまったため。

母の亜希子さんが亡くなった後、長嶋家の管理をしていた長島三奈さんはこの一件を許すことができず兄妹は絶縁状態に。

さらに『長嶋茂雄』の商標登録は株式会社オフィスエヌが所有していましたが、期限切れに伴いナガシマ企画が商標権を取得しました。

長島三奈さんは商標権に関しても猛抗議しており、弁護士同士の話し合いの末、オフィスエヌが商標権を所有することとなっています。

長嶋一茂さんと長島三奈さんは元々兄妹仲は良かったのですが、長嶋一茂さんの結婚を機に不仲となったと言われ、妻の仁子さんと長島三奈さんの確執が噂されていました。

家族内のもめ事なので他人がとやかく口出しできませんが、元々仲が良かったのであれば、いつか和解できる日がくるといいなと思います。

長嶋一茂の弟は長嶋正興

長嶋一茂さんの弟は、元レーシングドライバーの長島正興さんです。

長嶋茂雄さんの息子として生まれながらも、兄の一茂さんとは異なり、スポーツの世界ではなくモータースポーツの道を選んだことで知られています。

1970年9月26日生まれの長嶋正興さんは、駒澤大学に通いながらレーシングドライバーとしての活動をスタート。

その後、国内外のレースに参戦し、1999年から2000年にかけてはインディカーシリーズの登竜門とも言われる「フォーミュラ・アトランティックシリーズ」に出場しました。

日本国内では、「全日本GT選手権GT300クラス」での優勝や「スーパー耐久クラス3シリーズ」でのチャンピオン獲得など、輝かしい成績を残しています。

しかし、レーシングドライバーとしてのキャリアを終えた後は、意外な道へと進むことになります。

正興さんは引退後に環境管理士の資格を取得し、環境保護の分野で活動を始めました。

レーシング業界から全く異なる分野への転身は驚きですが、彼の探求心や行動力の高さを物語っています。

現在は環境問題に関する活動を行いながら、自身の興味を持ったことにまい進しているようです。

一方で、兄である長嶋一茂さんとはあまり交流がないとも言われています。

一茂さんが過去のテレビ番組で、「弟の居場所は知らない」と発言したことがあり、現在の兄弟関係についてもさまざまな憶測が飛び交っています。

とはいえ、正興さんは独自の人生を歩みながら、確固たる道を築いていることは間違いありません。

長嶋茂雄さんの息子として生まれながらも、独自のキャリアを築き、異色の道を歩んでいる長嶋正興さん。

レーサーから環境活動家へと転身した彼の今後の活動にも注目が集まります。

長嶋一茂の父親は長嶋茂雄

長嶋一茂さんの父親は『ミスタージャイアンツ』との異名を持つ日本プロ野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんです。

長嶋茂雄さんは1958年にプロ野球選手となり、新人ながら4番打者となるなど巨人のリーグ優勝に貢献しました。

その後はV9という巨人全盛期の立役者となり、同時期に活躍した王貞治さんと共に『ON砲』と呼ばれて国民的スターに。

選手引退後は巨人の監督として1994年リーグ優勝、1996年には広島カープに11.5ゲーム差を付けられながらも奇跡の逆転優勝を果たし、『メークドラマ』というキャッチコピーが流行しています。

監督退任後の2004年に脳梗塞で倒れ、以降は療養生活を続けていましたが、2013年に国民栄誉賞を受賞。

長嶋茂雄さんと言えば野球の功績のみならず独特のキャラクターも愛されており、『鯖(さば)』という漢字をさかなへんにブルーと表現したり、擬音の多い表現をしたりと芸人たちがこぞってモノマネをしていました。

長嶋一茂さんと長嶋茂雄さんは兄弟同様に絶縁状態となっています。

しかし、長嶋一茂さんは父親を嫌っているわけではなく、『またキャッチボールがしたい』と明かしたことも。

父親の背中を追ってきた長嶋一茂さんですし、長嶋茂雄さんが元気でいる間になんとか和解できればと願うばかりですね。

長嶋一茂は父親の遺産を相続放棄している

長嶋一茂さんは父親の長嶋茂雄さんの遺産を相続放棄していると明かしています。

一般的に、著名人の遺産相続は家族内での争いの火種になることが多いですが、一茂さんは早い段階で「興味がない」と明言しており、遺産を巡るトラブルを避ける姿勢を取っているようです。

長嶋家では、かつて家族間の確執があったことが報じられたこともあります。

一茂さん自身もテレビ番組などで「家族とはほぼ交流がない」と語っており、その背景には財産問題を含む様々な要因があった可能性が高いです。

家族との関係が悪化したことが相続放棄の決断に影響を与えたとも考えられます。

ただし、法的に「相続放棄」という手続きは親の死後にしかできないため、一茂さんが言う「相続放棄」とは、正式な手続きをしたわけではなく、あらかじめ自分の意志を明確に表明しているという意味合いが強いのでしょう。

遺産相続の際には、法定相続人としての権利が発生しますが、一茂さんはそれを主張するつもりがないというスタンスを取っているようです。

また、一茂さんについては「長嶋茂雄さんのゆかりの品を売却し、その資金を元手に投資を行い大きな利益を得た」という噂もあります。

しかし、この件については確証がなく、事実かどうかは分かりません。

ただ、一茂さんはすでに人気タレントとして成功し、高収入を得ているため、父の遺産に頼る必要がないというのも、相続にこだわらない理由の一つなのかもしれません。

長嶋茂雄さんは日本野球界のレジェンドであり、その財産や遺産は相当な価値を持っていると考えられますが、一茂さん自身は独自のキャリアを築き、経済的にも十分に自立しています。

そのため、あえて遺産に執着せず、距離を置く決断をしたのでしょう。

遺産を巡るトラブルが絶えない芸能界やスポーツ界において、一茂さんのこうした対応は珍しく、むしろ潔い決断とも言えそうです。

今後も長嶋家の遺産問題について何かしらの新しい動きがあるのか、または完全に一茂さんが関与しない形で進んでいくのか、注目されるところです。

しかし、一茂さん自身はすでにタレント・コメンテーターとして確固たる地位を築き、これからも自身の道を歩んでいくことは間違いなさそうです。

まとめ

長嶋一茂さんは、偉大な父・長嶋茂雄さんと母・亜希子さんのもとに生まれ、4人兄弟の長男として育ちました。

しかし、兄弟との関係は決して良好とは言えず、過去には家族との確執も報じられています。

特に、父・茂雄さんの遺産について相続放棄を表明したことは、多くの人の関心を集めました。

そんな一茂さんですが、母・亜希子さんの遺言を受け、鹿児島県知覧に噴水を作るという形で母の想いを実現させたことがわかっています。

知覧といえば、特攻隊の歴史を持つ場所として知られていますが、そこに噴水を作るという行動には、母の願いと一茂さんの深い想いが込められているのでしょう。

家族との関係については複雑な面もありますが、時間が経てば、お互いに歩み寄る日が来るのかもしれません。

遺産相続や家族の確執といった話題は決して軽いものではなく、関係者それぞれに事情があるものです。

しかし、一茂さんはすでにタレント・コメンテーターとして成功し、独自の人生を歩んでいるため、遺産に依存する必要もなかったのでしょう。

長嶋家に今後どのような変化が訪れるのかは分かりませんが、いつか兄弟の関係が改善され、家族としての絆が再び結ばれる日が来ることを願いたいですね。

長嶋一茂さんの他のことについてはこちら
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