日本の映画の歴史において重要な功労者と言われている俳優・浜田光夫さんの両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。
学生時代はどこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、浜田光夫さんの出身学校や実家、家族について調べてみました。
浜田光夫の学歴
浜田光夫さんが通っていた学校について調べてみました。
浜田光夫の出身小学校
浜田光夫さんは、渋谷区立上原小学校に入学しました。
5年生の時に玉川学園小学部へ転入しています。
小学生の時にお母さんの勧めでヴァイオリンを始めました。
映画『ここに泉あり』ではバイオリン教室の生徒の1人として出演しています。
浜田光夫の出身中学
小学校卒業後は、玉川学園中学部に進学しました。
現在の偏差値は42~50です。
3年生のときに劇団四季の『永遠の処女』、NHKの民藝ユニット作品『メリイクリスマス』に出演しました。
浜田光夫の出身高校
中学校卒業後は、玉川学園高等部に進学しました。
現在の偏差値は52です。
在学中に明治大学付属中野高等学校に転校しています。
明治大学付属中野高等学校の偏差値は70です。
浜田光夫の出身大学
高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学しました。
現在の偏差値は52.5~60です。
本格的に芸能活動を行うようになり、大学は2年で中退しました。
浜田光夫の実家
浜田光夫さんは、東京都牛込区(現・新宿区)出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
母一人子一人の生活だったため、凄くお金持ちだったというわけでもないようです。
浜田光夫の生い立ち
10月1日は浜田光夫さんの誕生日(1943〜)。「ここに泉あり」(1955)の生徒役でデビュー。1960年日活入社。日活純愛路線で活躍し、特に吉永さんとは44作品を共演。軽いチンピラ役や女優の相手役で力を発揮する。「非行少女」「キューポラのある街」など。1970年代以後、TVドラマへ。現役。 pic.twitter.com/CaZwAiTT5W
— 夢郎(ぼうろう) (@FrTaxz) October 1, 2024
浜田光夫さんは、1943年10月1日に誕生しました。
生まれた当初つけられた名前は「斌(あきら)」だったものの、後に姓名判断に凝っていたお母さんの薦めで知人により「光曠」と改名されています。
ただ戸籍は変更していないため、浜田光夫さんの本名は「浜田斌」です。
6年生の夏休みに劇団東童『ピーターパン』を観て芝居に興味を持ち翌週には劇団東童に入団、1955年に劇団民藝の若杉光夫さんに見いだされ、『石合戦』に主役の少年で出演しました。
浜田光夫の父親
浜田光夫さんのお父さんは一般人です。
名前や顔写真、職業は公開されていません。
鹿児島県出身のお父さんは、1943年11月1日に結核のため24歳で亡くなっています。
浜田光夫さんが誕生してわずか1か月後のことでした。
浜田光夫の母親
浜田光夫さんのお母さんも一般人です。
熊本県出身のお母さんは、お父さんが亡くなってから女手一つで浜田光夫さんを育て上げました。
2008年に88歳で亡くなっています。
浜田光夫の兄弟や姉妹
浜田光夫さんは、一人っ子です。
お父さんが亡くなった後もお母さんは再婚せず、二人で生活していました。
過去のインタビューで兄弟がほしいか聞かれた際には、「兄貴と妹がほしい。妹を可愛がり、兄貴には小遣いをねだります」と答えていました。
まとめ
生後1か月でお父さんを亡くした浜田光夫さんは、小学生の時に劇団に入り、高校卒業後に本格的に俳優活動を行うようになりました。
空の上で見守ってくれている両親にこれからも安心してもらえるよう、芸能活動を続けていってほしいですね。

