歌手、俳優として1970年代から活動を続けている野口五郎さんですが、「芸能界の発明家」としても知られています。
これまでにどんなことを発明し、特許を取得したのでしょうか。
今回は、野口五郎さんの経歴や出身学校、発明について調べてみました。
野口五郎の年収がすごい!
野口五郎さんの年収は公表されていません。
芸能界入りしてからは歌手や俳優として長きに渡り活動しています。
また芸能の仕事以外にも実業家としての顔も持っています。
そのため年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。
副業の発明や特許の収入がすごかった!
野口五郎さんは、発明家としても話題を集めています。
これまでに7件の特許を申請、4件が登録されました。
登録された4件は、特許6192178号「チケット販売システムおよびプレゼントコンテンツ配信システム」、特許6032997号「コンテンツ配信システムおよびコンテンツ配信方法」、特許6091357号「コンテンツ配信システム、コンテンツ配信方法、コンテンツ配信装置およびコンピュータプログラム」、特許4859882号「コンテンツ配信システムおよびコンテンツ配信方法」です。
特許収入は企業からのライセンス料などが多く固定給ではないため、野口五郎さんが特許でどの位の収入を得ているのかはわかりませんでした。
野口五郎さん曰く新しいアイデアは妄想から生み出しているそうで、「要するに夢ですよ、その先に行きたいっていうのがあって。自分がお世話になってきた音楽業界に恩返ししたいとか、何か残したいとか、強い思いはあります」と語っていました。
野口五郎の代表曲
野口五郎さんの代表曲は「甘い生活」です。
1974年10月20日に野口五郎さんの14枚目のシングルとしてリリースされ、オリコンチャートでは自身初となる1位を獲得、50万枚近いセールスを記録して野口五郎さん最大のヒット曲と言われています。
作曲を担当した筒美京平さんも、この楽曲で第16回日本レコード大賞・作曲賞を受賞しました。
野口五郎のプロフィールや経歴
『野口五郎自伝 僕は何者』が2025年2月21日に発売 特装版の予約締切迫る! https://t.co/ldoV3l1Y98 pic.twitter.com/xRkpVlzGa3
— ギター・マガジン (@guitarmagazine1) December 19, 2024
名前:野口五郎
生年月日:1956年2月23日
出身地:岐阜県
血液型:A型
身長:174cm
1971年5月1日に演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビューした野口五郎さんでしたが、デビュー曲では話題を集めることが出来ませんでした。
しかし2曲目の「青いリンゴ」からアイドル歌手に転向すると若い女性ファンの人気を獲得、1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』では当時としては最年少の16歳10か月で初出場歌手に抜擢されています。
1973年4月には「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り、続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、西城秀樹さん・郷ひろみさんと共に『新御三家』と呼ばれトップアイドルの仲間入りを果たしました。
1975年の「私鉄沿線」が有線放送をきっかけに大ヒットし「甘い生活」から2作品連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得すると、年末の第8回日本有線大賞・グランプリ、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、多くの音楽賞を受賞しました。
また1976年「きらめき」が第2回日本テレビ音楽祭・グランプリ、第5回東京音楽祭・ゴールデンスター賞、「針葉樹」が第18回日本レコード大賞・歌唱賞、1978年「グッド・ラック」で第9回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第20回日本レコード大賞・金賞などを受賞しています。
1983年には連続ドラマ『誰かが私を愛してる』にヒロイン・多岐川裕美の相手役として出演、主題歌「19:00の街」が15万枚を超えるヒットとなり、第12回東京音楽祭・世界大会でフリオ・イグレシアス賞を獲得しました。
2005年には音楽プロデューサーとして音楽映像配信サイト『音コレ(のちにGプロデュースと改名)を立ち上げ、ものまね、インディーズ、オリジナル楽曲をプロデュースしています。
野口五郎の本名や芸名の由来
野口五郎さんの本名は、佐藤 靖(さとう やすし)さんと言います。
家族会議では「直樹」と命名するつもりだったものの、お父さんが家族に許可を得ずに「靖」という名前で出生届を出してしまったそうです。
芸名は野口五郎岳に由来するもので、「雄々しく逞しい歌手になるように」と名付けられました。
名付け親は、デビュー時に所属していたポリドール・レコードのディレクターの方です。
黒部五郎岳にちなんだ「黒部五郎」も芸名の候補になっており、野口五郎さんはどちらかを選ぶように言われ「山の名前を芸名にするなら高い山のほうがいい」と考えて、黒部五郎岳 (2,840m) よりも高い野口五郎岳 (2,924m) にしたそうです。
野口五郎の所属事務所
野口五郎さんは、オフィス・ジーに所属しています。
こちらは野口五郎さんの個人事務所で、1986年7月1日に設立しました。
野口五郎の学歴
野口五郎さんが通っていた学校について調べてみました。
野口五郎の出身小学校
野口五郎さんは、美濃市立美濃小学校出身です。
小学生の頃は野球をやっていました。
野口五郎さんはキャプテンで4番打者、ピッチャーもやっていました。
しかしメンバーの信頼厚いにもかかわらずピッチングコントロールが全く駄目で、試合をやっても勝った記憶がほとんどないそうです。
音楽の方は小学校に入学した頃からギターをやっており、お兄さんがバイト代で野口五郎さんにギターをプレゼントしてくれました。
野口五郎の出身中学
小学校卒業後は、美濃市立美濃中学校に進学しました。
中学では野球部に入ったものの、1年生の秋頃に右足を痛めて野球を続けられなくなってしまいました。
このことをきっかけに歌手を目指すようになり、2年生の時には台東区立台東中学校に転校しました。
こちらの学校は合併のためすでに閉校しています。
野口五郎の出身高校
中学校卒業後は、堀越高等学校に進学しました。
当時は芸能コースはなく、普通科と商業科(現在は廃止)でした。
現在の普通科コースの偏差値は38~42、トレイトコース(旧芸能コース)は38です。
野口五郎の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
すでに芸能活動を行っていたことから芸能活動に専念しています。
まとめ
デビューは演歌歌手だった野口五郎さんですが、すぐにアイドル路線に変え、ブレイクしました。
そして、芸能人という顔以外にも、発明家という顔があるのも驚きでしたよね。
これからも歌手として、俳優として、活動し続けていけるように応援していきたいと思います。

