平野レミの若い頃が炎上でやばい!シャンソン歌手でいつから料理研究家?

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「まるごとブロッコリー」や「アッという間のカレー」など、ユニークな創作料理で知られる料理愛好家・平野レミさん。

彼女の自由奔放な料理スタイルは今でこそ愛されていますが、実は若い頃はその斬新すぎるレシピが原因で炎上し、抗議の電話が殺到したこともあったそうです。

そんな平野レミさんですが、元々はシャンソン歌手としてデビューしており、料理研究家になる前は音楽の世界で活動していました。

一体どのような経緯で、料理の道へと進んだのでしょうか?

今回は、平野レミさんの波乱万丈な経歴や、料理愛好家としての転機、さらには所属事務所や年収についても詳しく調査しました!

彼女の知られざる過去に迫ります!

目次

平野レミの若い頃が炎上でやばい

平野レミさんは料理愛好家として『きょうの料理』を始め多くの番組で自身のレシピを披露しています。

今ではSNSで「面白い」、「簡単にできそう」、「美味しそう」など好意的なコメントが並びますが、平野レミさんがメディアに出始めたばかりの頃は否定的な声もあったそうです。

何故そのような声があったのか、調べてみました。

炎上エピソード①トマトを手でぐしゃぐしゃっとつぶした

平野レミさんが初めてNHKの人気料理番組『きょうの料理』に出演した際に披露したのは、薄切り牛肉とトマトを炒めるだけの簡単料理”牛トマ”でした。

放送中、平野レミさんはいつものやり方でトマトを手でぐしゃぐしゃっとつぶしたところ、NHKには「あの下品なやり方はなんだ」と抗議の電話が来たそうです。

当時平野レミさんのように早口でべらべら言いながら手でトマトをぐちゃっとつぶす先生はいなかったため、視聴者は驚いてしまったようです。

平野レミさんはプロデューサーから「視聴者から抗議が来たので、今度から注意してください」と言われたものの、「私は私のやり方しかできません」と返しました。

これでテレビの仕事は来ないと思った平野レミさんでしたが、数日後に新聞のテレビ欄に「平野レミの料理番組はユニークでおもしろい」という評判が出たことで、その後も『きょうの料理』に呼ばれています。

平野レミはシャンソン歌手として活躍していた

平野レミさんは、料理研究家として知られる前にシャンソン歌手として活躍していました。

文化学院在学中にシャンソンを学び、その後、銀座日航ホテル内の「日航ミュージックサロン」のオーディションに合格。

専属歌手として活動をスタートさせました。

彼女の歌声は次第に注目を集め、ラウンジで歌っていたところをレコード会社にスカウトされることに。

そして、1970年に「誘惑のバイヨン」で歌手デビューを果たします。

この楽曲は公称10万枚を売り上げたとされていますが、平野さん本人によると実際の売上は3万枚ほどだったとのこと。

それでも、当時としては注目される数字であり、歌手としての実力が評価されていたことがわかります。

その後もシャンソン歌手として活動を続けましたが、後に料理研究家としての道へ進むことに。

料理の世界での自由奔放なスタイルは、もしかすると歌手時代に培われた表現力や感性が影響しているのかもしれませんね。

平野レミはいつから料理研究家になった?

平野レミさんが初めて料理を仕事にしたのは、夫の和田誠さんの友人・八木正生さんから「『四季の味』という雑誌にリレー・エッセイを書いたんだけど、次の人にバトンタッチしなきゃいけないんだ。レミちゃん、引き受けてくれない?」と言われたことがきっかけでした。

平野レミさんは和田誠さんの友人らにも料理を振るまっており、八木正生さんも平野レミさんの料理を食べて美味しいと感じ、オファーしたそうです。

「だめですよ。料理の専門雑誌に文章なんか書けません」と断ろうとした平野レミさんでしたが、八木正生さんから「いいんだよ。いつもぼくたちに食べさせてくれる、レミちゃんの手料理のことを書いてくれれば」と押し切られて、仕方なく引き受けることにしました。

そして言われたとおりいつもの手料理のことを書くと評判が良かったためシリーズになり、それを見た雑誌から「うちにもお願いします」というオファーがくるようになり、料理愛好家として本格的に仕事をするようになりました。

平野レミさん曰く、”料理研究家”ではなく”料理愛好家”と名乗るのは、「料理学校に通ったこともなければ、料理の研究なんて大それたことをしたこともない、ただの料理好きの主婦だから」なんだそうです。

平野レミのプロフィールや経歴

PROFILE

名前:平野レミ
生年月日:1947年3月21日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:非公開

シャンソン歌手としてデビューした平野レミさんは、『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内の「ミュージック・キャラバン」で久米宏さんのアシスタントとして出演していました。

その姿を見た和田誠さんが平野レミさんに惚れ込み1972年に結婚、平野レミさんは活動を休止しました。

料理愛好家として活動を再開させると、2007年公開のディズニー配給映画『レミーのおいしいレストラン』の日本でのプロモーションでは「料理親善大使」を務めました。

2022年にはポプラ社刊行のエッセイ『おいしい子育て』が第9回料理レシピ本大賞 in Japanのエッセイ賞を受賞しています。

平野レミの所属事務所

平野レミさんは、「remy」という事務所に所属しています。

この事務所は、彼女の次男・和田率(わだ りつ)さんが設立した会社で、料理研究家としての活動をサポートするだけでなく、オリジナル商品やグッズの販売も行っています。

特に有名なのが、「レミパン」シリーズ。

平野レミさんのアイデアをもとに開発された調理器具で、機能性の高さやデザインの可愛さから人気を集めています。

また、remyの公式サイトでは、彼女のオリジナルレシピや商品情報も発信されており、料理研究家としてのブランドがしっかりと確立されています。

通常、料理研究家やタレントは大手芸能事務所に所属することが多いですが、平野レミさんは家族経営の会社で自由に活動している点が特徴的。

次男・和田率さんをはじめ、家族が一丸となって彼女の活動を支えていることがわかりますね。

平野レミの年収

平野レミさんの年収は公表されていませんが、その知名度や幅広い活動を考えると、数千万円規模に達している可能性が高いと考えられます。

料理愛好家として、テレビやラジオ番組への出演はもちろん、独自のレシピ本の出版やイベント活動も行っています。

また、かつてはシャンソン歌手として活動していたこともあり、音楽の分野でも才能を発揮してきました。

さらに、オリジナル調理器具「レミパン」シリーズの販売も大きな収入源の一つです。

この商品は使いやすさとデザイン性の高さで人気を集め、多くの家庭で愛用されています。

自身の所属事務所「remy」では、グッズ販売やブランド展開も行っており、その収益も年収に大きく貢献していると考えられます。

老若男女問わず高い知名度を誇る平野レミさん。彼女のユニークなキャラクターと多彩な才能を活かした活動は、これからも続いていくでしょう。

年収の具体的な数字は明らかになっていませんが、今後の活躍次第でさらに増えていく可能性もありそうですね!

まとめ

元シャンソン歌手として活動していた平野レミさんが、料理愛好家としての道を歩み始めたきっかけは、作曲家の八木正生さんからのオファーでした。

それ以来、彼女は独自の発想とユーモアあふれる料理で、多くの人に食の楽しさを伝え続けています。

若い頃は、その斬新すぎる料理スタイルが批判を受け、炎上したこともありましたが、現在では彼女の自由奔放なレシピや明るいキャラクターが親しまれ、唯一無二の料理研究家として確固たる地位を築いています。

テレビや書籍、オリジナル調理器具「レミパン」シリーズの展開など、幅広い分野で活躍する平野レミさん。

これからも彼女ならではの型破りな料理と飾らないトークで、私たちを楽しませてくれることでしょう!

今後の活動にも注目です!

平野レミさんの他のことについてはコチラ
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