野口五郎の実家は美濃市の喫茶店!兄は作曲家で父親と母親・家族構成も

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「甘い生活」や「私鉄沿線」、「グッド・ラック」などのヒット曲で知られる歌手で俳優の野口五郎さんは、どこ出身の方なのでしょうか。

両親はどんな人で、兄弟の職業は何なのか、気になりますね。

そこで今回は、野口五郎さんの実家や家族について調べてみました。

目次

野口五郎の実家は美濃市で喫茶店だった

野口五郎さんは、岐阜県美濃市常盤町出身です。

実家の詳しい場所は公開されていません。

過去には「再会」という喫茶店を野口五郎さんのお父さんが経営していました。

店名は野口五郎さんの主演映画『再会』から付けられ、野口五郎さんファンの方が多く訪れました。

すでに閉店しており、現在その場所は駐車場になっているそうです。

野口五郎の兄は作曲家の佐藤寛

野口五郎さんには、6歳年上のお兄さん・佐藤寛さんがいます。

佐藤寛さんは作曲家として活動しており、これまでに欧陽菲菲さんの「涙のディスコナイト」、長山洋子さんの「ごめん」、神田広美さんの「いつのまにか雨」などを手掛けました。

野口五郎さんの楽曲も「愛ふたたび」、「私鉄沿線」、「美しい愛のかけら」、「女友達」、「むさし野詩人」などの作曲を担当しています。

野口五郎の生い立ち

野口五郎さんは、1956年2月23日に誕生しました。

生後6か月に赤痢にかかり生死を彷徨ったことから病気がちの子供だったものの、畑を荒らしたり、カエルを捕ってきて女の子にぶつけたり、手のつけられないほどのわんぱくさから小学校に上がるころには丈夫な体になったそうです。

小学生の頃は野球少年でしたが、音楽も好きで、保育園の頃からウクレレを、小学生になるとお兄さんがアルバイトで買ってくれたギターを弾いていました。

小学5年生の時には美濃市で「ちびっこのど自慢」の中継があり、荒木一郎さんの「今夜は踊ろう」を熱唱すると見事優勝、中学生の時に右足のけがで野球を断念したことをきっかけに歌手の道を目指すようになったそうです。

その後上京してアルカートプロダクション(のちのNPミュージック・プロモーション)の第一号タレントとして所属、1971年5月1日に演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビューしました。

野口五郎の父親はどんな人?

野口五郎さんのお父さんは、佐藤進さんと言います。

公務員だったお父さんは、元々歌手志望でした。

しかしコンテストでデビュー前の田端義夫さんに敗れたこと、太平洋戦争で召集されたことでその夢を諦めたそうです。

そんなお父さんは1997年5月10日に胃がんのため76歳で亡くなっています。

野口五郎の母親はどんな人?

野口五郎さんのお母さんは、佐藤伊代子さんと言います。

お母さんも歌手志望でデビューの話もあったものの、家族の反対からその夢をかなえられませんでした。

戦後はボランティアの青空楽団の専属歌手をしていたそうです。

そんなお母さんは2024年8月7日に96歳になり、現在は施設で生活しています。

まとめ

両親は共に歌手志望でありながら夢を叶えることが出来ませんでしたが、野口五郎さんが歌手になることを応援し、デビューしてからも支え続けてくれました。

お兄さんも作曲家として活動しているので、今後もお兄さんと共に素敵な音楽をファンに届けてほしいと思います。

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