神津カンナさんと神津はづきさんは、日本の芸能界や文化界で活躍する姉妹です。
そんな二人の弟が画家として活動していることをご存じでしょうか?
弟・神津善之介さんは独自の作風を持つ画家であり、国内外で作品を発表し続けています。
芸術一家として知られる神津家は、父親が名作曲家の神津善行さん、母親が伝説的な女優でありタレントの中村メイコさんという華々しい血筋を持っています。
多才な才能が集う神津家の魅力について、詳しくご紹介します。
神津カンナと神津はづきの実家がすごい!
神津カンナ&神津はづき:母・中村メイコさんの素顔は「ヨッパライ」 父・神津善行は「メイコの部屋」を仏壇代わりに守り続け 「徹子の部屋」で#徹子の部屋 #神津はづき #神津カンナ https://t.co/sB69fAmlPP
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神津カンナさんと神津はづきさんは、東京都出身です。
二人はかつて東京都内にある敷地300坪、地下1階・地上2階建ての大豪邸で育ちました。
この豪邸は広々とした庭や立派な門構えが特徴で、まさに格式ある芸能一家にふさわしい住まいだったといいます。
母である中村メイコさんは、かつてこの家について「体育館並みに大きな家」と明かしており、そのスケールの大きさがうかがえます。
室内には広いリビングや書斎、音楽室なども完備されており、父・神津善行さんの作曲活動を支える環境も整えられていました。
また多くの芸能人や文化人が訪れ、交流を深める場としても機能していたようです。
しかし時の流れとともに家族の生活も変化しました。
中村メイコさんと神津善行さんが年齢を重ね、さらに子供たちが成長して独立すると、広大な住まいを維持することが難しくなってきました。
かつてはにぎやかだった家も夫婦二人だけでは持て余すほどの広さになってしまったのです。
そのため夫妻は思い切って長年暮らした豪邸を売却し、よりコンパクトで管理しやすい住まいへの引っ越しを決意。
現在は3LDKのマンションで暮らしています。
大豪邸からの住み替えという大きな決断でしたが、年齢を重ねたことでより快適で便利な生活環境を選んだのです。
新しい住まいは以前のような広さはないものの、利便性が高く、日常生活を快適に送ることができる環境が整っています。
また家族との距離が縮まり、より密接な関係を築くきっかけにもなったのではないでしょうか。
神津家は代々、芸術や文化に深く関わる家庭ですが、その一方で生活の変化に柔軟に対応し、現実的な選択をしていることがうかがえます。
長年住み慣れた家を手放すのは決して簡単なことではありませんが、新たな暮らしを楽しみながら神津夫妻は充実した日々を送っているようです。
弟は画家の神津善之介
連載「海外で活躍する日本人」第4回は、スペイン在住の西洋画家 神津善之介氏。「自分らしさを探し続ける画家、神津善之介」《前編》を紹介しています。https://t.co/zwLlddHkQJ pic.twitter.com/iUra4tPtla
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神津カンナさんと神津はづきさんの弟である画家・神津善之介さんは、1972年に東京で生まれました。
1991年に武蔵工業大学に入学後、1992年にはJ・トレンツ・リャドに師事し、画家としての道を歩み始めます。
1997年には東京のガレリア・プロバで初個展を開催し、その後も国際的に活動を広げます。
1998年にはマヨルカで開催されたバルセロ財団主催の国際絵画展に入選し、マドリードでは第65回サロン・デ・オトーニョ展で入選および奨学金賞を受賞。1999年にはBMW財団主催の国際絵画展に入選し、マドリードのギャラリーで三人展に参加するなど、次々と注目を集めました。
2000年には、スペインのガレリア・ノバやマラガ、グラナダなどで展覧会に参加し、大阪や東京でも個展を開催。
その後も国際的な展覧会に積極的に参加し、2001年にはマヨルカでバルセロ財団主催の国際絵画展で大賞を受賞します。
2002年以降、神津善之介さんは、マドリード、ミラノ、パリなどでも個展やグループ展を開催し、国際的な評価を得続けました。
特に2004年にはマドリードのデュラン絵画コンクールで大賞を受賞し、個展も数多く開催しました。
2005年以降も国内外で精力的に活動を続け、2006年にはマドリードのガレリア・ドゥランで大賞記念個展を開催するなど、画家としての地位を確立しました。
父親は作曲家の神津善行
中村メイコ 神津善行
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7/12(金) 徹子の部屋
結婚62年…神津家に起こった大変化https://t.co/CMllJ32PDH pic.twitter.com/23yeviXa1j
神津カンナさんと神津はづきさんのお父さんは作曲家の神津善行さんです。
神津善行さんは、国立音楽大学器楽科を卒業後、作曲家としての道を歩み始めました。
作曲を信時潔にトランペットを中山冨士雄に師事し、音楽の深い知識と技術を学びました。
その後彼の音楽活動は多岐にわたり、特に映画音楽の分野で大きな業績を残しました。
彼は映画音楽を中心に約300曲の作曲を手掛け、その幅広い音楽の才能を発揮しました。
また歌謡曲や吹奏楽曲の作曲も行い、音楽業界において幅広いジャンルで活躍しました。
神津さんは作曲家としての活動だけにとどまらず、エッセイなどの執筆活動にも力を入れており、その思索や感受性が文章にも表れています。
音楽を深く理解するために理論的な探求にも余念がなく、その知識を文章としても残している点が彼の特徴的な部分です。
音楽だけでなく、その言葉においても感動を与える存在として多くの人々に影響を与えました。
1992年には民族音楽の復興を目的として、琵琶などの日中の伝統楽器を使用した女性11名のグループ「六華仙」を結成しました。
このグループは伝統的な音楽を現代に伝えることを目的としており、琵琶や他の民族楽器の音色を重んじ、独自の音楽世界を構築しました。
神津さんはこのグループを通じて、民族音楽に対する深い愛情と理解を伝えることに尽力しました。
「六華仙」はその音楽を通じて、伝統と革新を結びつけ、古き良き文化を現代に息吹を吹き込む活動を続けました。
また神津さんの活動の中で特筆すべきは、植物と音楽に関する研究です。
早稲田大学で行っていたこの研究では植物の微弱な信号音を使って、小交響詩「依代」を作曲しました。
この研究は植物が発する音波や信号に注目し、それを音楽に変換するという、非常にユニークで先進的な取り組みでした。
植物と音楽が織りなす世界を表現するために神津さんは音楽的な創造性を発揮し、環境と音楽の関係について新たな視点を提案しました。
神津善行さんの音楽活動は映画音楽を中心に多くのジャンルで評価され、伝統音楽の復興や音楽と植物という異分野の融合に挑戦するなど、その革新性と多彩な才能で日本の音楽界に大きな影響を与えました。
彼の作品は今なお多くの人々に愛され、音楽だけでなくその理念も引き継がれています。
母親は女優の中村メイコ
【あの人の戦争体験 #中村メイコ さん】
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) December 30, 2024
きょうが命日の中村メイコさん。子役として大陸や南洋の特攻隊基地を慰問していました。
「特攻隊のお兄さんの虚無的な顔つきが、小さな子どもが歌う『夕焼け小焼け』を聞くうちに、表情が出てくるんです」#戦争証言アーカイブスhttps://t.co/3tLpMAV1Dl pic.twitter.com/sro8eb1SnE
神津カンナさんと神津はづきさんのお母さんは、女優で歌手の中村メイコさんです。
中村メイコさんは、2歳の時に映画『江戸っ子健ちゃん』でデビューを果たしました。
この映画はP.C.L映画製作所(現:東宝)が制作したもので、中村メイコさんは子役として初めてスクリーンに登場しました。
これをきっかけに彼女は映画界で注目を集め、その後も多くの映画やドラマに出演し、女優としての道を歩みました。
1955年には歌手としても活動を始め、その歌声は多くのファンを魅了しました。
中村メイコさんは歌手としても大きな成功を収め、特に『NHK紅白歌合戦』での活躍が記憶に残ります。
彼女は、1959年の第10回から1961年の第12回まで、3年連続で紅組司会を務めました。
この大役を果たすことで彼女の名は広まり、テレビの世界でも高い評価を受けました。
中村メイコさんは芸能界において長年にわたり活躍し続け、2016年には芸歴80年目を迎えました。
彼女のキャリアは、映画、テレビ、ラジオ、音楽と多岐にわたり、その幅広い才能を生かして多くの作品に出演してきました。
その実績からもわかるように、中村メイコさんは日本のエンターテイメント業界において欠かせない存在となり、長きにわたり多くの人々に愛され続けました。
その後2023年には名誉都民に選定されるなど、東京都民としてもその功績が認められました。
名誉都民としての称号は東京都に対して多大な貢献をした人物に与えられるものであり、中村メイコさんの偉大な業績と長い芸歴を象徴するものとなりました。
しかし2023年12月31日午後10時45分、東京都内の病院で中村メイコさんは肺塞栓症のため、89歳で亡くなりました。
長年にわたり第一線で活躍し続けた彼女の死は、芸能界だけでなく幅広い分野で惜しまれることとなりました。
彼女の死は多くの人々にとって大きな衝撃であり、その影響力と存在感の大きさを改めて感じさせる出来事でした。
中村メイコさんは、映画や音楽、テレビなどでの幅広い活躍を通じて、常に時代の先端を行く存在でした。
その輝かしいキャリアと彼女が残した功績は今後も多くの人々に受け継がれ、語り継がれることになるでしょう。
まとめ
神津カンナさんと神津はづきさんの弟は画家・神津善之介さんです。
父親は作曲家の神津善行さん、母親は女優で歌手の中村メイコさんです。
中村メイコさんは旅立ってしまいましたが、姉妹や弟さん、お父さんは今も活動を行っています。
これからもそれぞれの道での活躍に期待したいと思います。

