志穂美悦子の若い頃や現在・高校や大学は?実家や両親兄弟についても

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元アクション女優で現在は歌手、フラワーアーティストという肩書を持つ志穂美悦子さんは、どんな人なのでしょうか。

アクション女優になったきっかけや学生時代通っていた学校はどこにあるのでしょうか。

今回は、志穂美悦子さんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。

目次

志穂美悦子は若い頃アクション俳優だった

志穂美悦子さんは、元アクション女優です。

1972年8月に俳優の千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ (JAC) を受験して合格しました。

剣技だけでなく格闘をメインにし、吹き替えなしで複数作品に主演したアクション女優としては日本映画史上初の存在で、その後も追随する存在は出ていません。

また、ジャパンアクションクラブが初めて輩出した女優ともいわれています。

志穂美悦子の代表作

志穂美悦子さんの代表作は、『女必殺拳シリーズ』です。

1974年に『女必殺拳』の主人公に選ばれると作品が大ヒット、『女必殺拳シリーズ』として『女必殺拳 危機一発』、『帰って来た女必殺拳』とシリーズ化されました。

日本だけではなく海外でも公開され、Sue Shihomiの異名で世界的に知名度を上げました。

志穂美悦子は現在シャンソン歌手

2024年6月、志穂美悦子さんは「鬼無里(きなり)まり」名義でシャンソン歌手デビューしました。

若い頃からシャンソンが好きだった志穂美悦子さんは、「歌手になろう!」と構えていたわけではなかったものの、志穂美悦子さんの歌を聞いた湯川れい子さんからお誘いを受けてデビューすることになったそうです。

同年11月には日本シャンソンコンクール2024で優秀賞を受賞しました。

志穂美悦子のプロフィールや経歴

PROFILE

名前:志穂美悦子
生年月日:1955年10月29日
出身地:岡山県
血液型:A型
身長:163cm

1973年に『ボディガード牙』でデビューした志穂美悦子さんは、アクション女優として知名度を上げ、多くの作品に出演しました。

1976年には『大江戸捜査網』で初の時代劇に進出、1977年に『みどころガンガン大放送』でバラエティー番組に初出演するなど活動の幅を広げていきました。

1987年8月にシンガーソングライターの長渕剛さんと結婚すると主婦業に専念し芸能界を引退、2010年からフラワーアーティストとして活動するようになりました。

フラワーアーティストとしては、2016年にJA長生と組み被災地復興支援として「ひまわりプロジェクト」を立ち上げ、2017年には宮城県石巻市に、2018年に熊本県、2019年には宮城県七ヶ浜にひまわりを咲かせています。

2014年には世界遺産の奈良薬師寺にて「聖観世音菩薩に捧げる花展」を開催、2015年〜2023年「世界らん展」、2016〜2017年「国際バラとガーデニングショウ」にて特別展示、ステージパフォーマンスを披露しました。

志穂美悦子の所属事務所

志穂美悦子さんは、ハンドレットに所属しています。

こちらは志穂美悦子さんの個人事務所で、アクション女優時代の1985年に立ち上げました。

志穂美悦子の年収

志穂美悦子さんの年収は公表されていません。

現在は芸能活動を再開し、歌手やバラエティー番組の出演など活動の幅を広げています。

ただ若い頃程の仕事量ではないことから年収は数百万円ほどになるのではないかと思われます。

志穂美悦子の学歴

志穂美悦子さんが通っていた学校について調べてみました。

志穂美悦子の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

地元の学校に通っていたと思われます。

小学生の頃は学級委員を務め、真面目でした。

祖父母が教師だった影響から学校の先生を目指していました。

志穂美悦子の出身中学

小学校卒業後は、岡山市立西大寺中学校に進学しました。

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