元アクション女優で現在は歌手、フラワーアーティストという肩書を持つ志穂美悦子さんは、どんな人なのでしょうか。
アクション女優になったきっかけや学生時代通っていた学校はどこにあるのでしょうか。
今回は、志穂美悦子さんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。
志穂美悦子は若い頃アクション俳優だった
志穂美悦子さんがもし女優を引退していなければ現在ではレジェンド美人アクション女優として語り継がれていたんだろうなと思う🤔もしかしたら真田広之さんみたいに国際的に活躍していただろうし🤔 pic.twitter.com/ZfKKKDWgCh
— 三次元からきたブロンディ (@kotaeastwood) December 17, 2024
志穂美悦子さんは、元アクション女優です。
1972年8月に俳優の千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ (JAC) を受験して合格しました。
剣技だけでなく格闘をメインにし、吹き替えなしで複数作品に主演したアクション女優としては日本映画史上初の存在で、その後も追随する存在は出ていません。
また、ジャパンアクションクラブが初めて輩出した女優ともいわれています。
志穂美悦子の代表作
女必殺拳を観た
— フードコブラ (@Cobra_insp) January 30, 2025
志穂美悦子主演の空手映画
邦画史上初の女性主人公による本格格闘映画で
漫画の様な個性的な刺客達と全編に渡って戦い続ける勧善懲悪モノ
凄惨すぎるのがやや難点だが志穂美氏の超絶キレキレアクションは必見
過去現在含めて最上のアクション女優である事は間違いない
女性必見の秀作 pic.twitter.com/DkBELd9Xct
志穂美悦子さんの代表作は、『女必殺拳シリーズ』です。
1974年に『女必殺拳』の主人公に選ばれると作品が大ヒット、『女必殺拳シリーズ』として『女必殺拳 危機一発』、『帰って来た女必殺拳』とシリーズ化されました。
日本だけではなく海外でも公開され、Sue Shihomiの異名で世界的に知名度を上げました。
志穂美悦子は現在シャンソン歌手
志穂美悦子さん、シャンソン歌手への挑戦「孫もいる今、ようやく自分が好きなことを追求できる」「メイクも衣装も他人任せにしない」#生き方https://t.co/iHKlIMfogz#インタビュー #生き方 #話題 pic.twitter.com/8nFdxUvH0j
— 介護ポストセブン (@kaigo_postseven) January 2, 2025
2024年6月、志穂美悦子さんは「鬼無里(きなり)まり」名義でシャンソン歌手デビューしました。
若い頃からシャンソンが好きだった志穂美悦子さんは、「歌手になろう!」と構えていたわけではなかったものの、志穂美悦子さんの歌を聞いた湯川れい子さんからお誘いを受けてデビューすることになったそうです。
同年11月には日本シャンソンコンクール2024で優秀賞を受賞しました。
志穂美悦子のプロフィールや経歴
<志穂美悦子>長渕剛の妻 68歳の誕生日に“筋肉ムキムキ”美ボディー披露(毎日キレイ) https://t.co/aeTkZ5sKJC pic.twitter.com/RJ1Xlr7G6v
— K_POP_NEWS (@K_POP_NEWS) October 29, 2023
名前:志穂美悦子
生年月日:1955年10月29日
出身地:岡山県
血液型:A型
身長:163cm
1973年に『ボディガード牙』でデビューした志穂美悦子さんは、アクション女優として知名度を上げ、多くの作品に出演しました。
1976年には『大江戸捜査網』で初の時代劇に進出、1977年に『みどころガンガン大放送』でバラエティー番組に初出演するなど活動の幅を広げていきました。
1987年8月にシンガーソングライターの長渕剛さんと結婚すると主婦業に専念し芸能界を引退、2010年からフラワーアーティストとして活動するようになりました。
フラワーアーティストとしては、2016年にJA長生と組み被災地復興支援として「ひまわりプロジェクト」を立ち上げ、2017年には宮城県石巻市に、2018年に熊本県、2019年には宮城県七ヶ浜にひまわりを咲かせています。
2014年には世界遺産の奈良薬師寺にて「聖観世音菩薩に捧げる花展」を開催、2015年〜2023年「世界らん展」、2016〜2017年「国際バラとガーデニングショウ」にて特別展示、ステージパフォーマンスを披露しました。
志穂美悦子の所属事務所
志穂美悦子さんは、ハンドレットに所属しています。
こちらは志穂美悦子さんの個人事務所で、アクション女優時代の1985年に立ち上げました。
志穂美悦子の年収
志穂美悦子さんの年収は公表されていません。
現在は芸能活動を再開し、歌手やバラエティー番組の出演など活動の幅を広げています。
ただ若い頃程の仕事量ではないことから年収は数百万円ほどになるのではないかと思われます。
志穂美悦子の学歴
志穂美悦子さんが通っていた学校について調べてみました。
志穂美悦子の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
地元の学校に通っていたと思われます。
小学生の頃は学級委員を務め、真面目でした。
祖父母が教師だった影響から学校の先生を目指していました。
志穂美悦子の出身中学
小学校卒業後は、岡山市立西大寺中学校に進学しました。
中学では陸上部に所属していました。
幅跳び・高跳び・ハードル・100m・200mと全種目に出場、県大会での最高成績はハードルの2位です。
1位にならないと中国大会に進めなかったため、とても悔しい思いをしたそうです。
志穂美悦子の出身高校
中学校卒業後は、岡山県立西大寺高等学校に進学しました。
偏差値は54です。
高校でも陸上部に所属していました。
在学中に東京に上京、中延学園高等学校(現・朋優学院高等学校)に編入しています。
朋優学院高等学校の現在の偏差値は62~67です。
志穂美悦子の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
女優活動に専念しています。
志穂美悦子の実家
志穂美悦子さんは、岡山県西大寺市出身です。
実家の詳しい場所は公開されていないためわかりませんでした。
幼い頃は両親と母方の祖母と志穂美悦子さんと弟の5人家族だったそうです。
志穂美悦子の生い立ち
志穂美悦子さんは、1955年10月29日に誕生しました。
幼稚園の時からすでに「私はみんなより足が速い」と感じており、小学生の頃は男子よりも足が速かったそうです。
学校の先生を目指していた志穂美悦子さんでしたが、中学生の時に『サインはV』などスポーツ根性もののドラマを見るように鳴ったことから女優を夢見るようになりました。
運動神経が良かったことから「自分の運動神経を生かした女優になりたい」という目標が出来、中学校3年生の時にはひそかに「東京の大学に入って、そこから養成所みたいなところに通いたいな」と考えていたそうです。
当時アクション女優は日本にいなかったことから、志穂美悦子さんは「誰よりも先にやりたい」と思っていました。
志穂美悦子の父親
志穂美悦子さんのお父さんは一般人です。
名前や顔写真は公開されていませんが、職業は大蔵省印刷局に勤務する会社員でした。
陸軍中野学校出身の元軍人で、剣道は3段や4段の腕前だったそうです。
家族の前で笑うことは少ない人だったものの、子供の教育には熱心で、小学校のPTA会長をやるほどでした。
志穂美悦子の母親
志穂美悦子さんのお母さんも一般人です。
お母さんは大蔵省印刷局でお父さんと出会い、職場結婚しました。
お父さんと同じく名前や顔写真は公開されていません。
お母さんは卓球をずっとやっており、志穂美悦子さんも小さい頃はお母さんの練習をよく見に行っていたそうです。
志穂美悦子の兄弟や姉妹
志穂美悦子さんには、弟さんがいます。
弟さんも一般人でメディアに出ることはないものの、志穂美悦子さんは「バラを育てる天才」と紹介していました。
弟さんはバラで岡山の最優秀賞などを獲得したことがあるそうです。
まとめ
一般家庭で育った志穂美悦子さんは、元々運動神経が良く、若い頃はアクション女優として多くのファンに支持されていました。
多彩な才能を持つ志穂美悦子さんなので、今後の活躍も楽しみです。

